海は、全てを優しく包んでくれる。 浜辺に寄るしらなみは、海からの贈り物を陸へと運び、海への捧げ物を海へと運んでいく。 贈り物は、海に愛されたもの。 捧げ物は、これから海に愛されるもの。 ……否、海に帰るのだ。ふたたび。 すべてのいのちは海によって生まれ、愛されているのだから。 「海よ、我を哀れみたまえ……」 白い足が同じように白い泡のなかに入る。 空と同じ色をしている海は、静かにそれを受け入れる。 ひろく白い浜辺に寄せる波はゆっくりと、その足を、その足の持ち主である少女を……陸から離し、埋めていく。 海は静かに光り輝いている。 やがて足は全て冷たい海に覆われ、少女の腰にまで白い波は優しく寄せる。押し戻すかのように。 少女は静寂に満ちた顔のまま、目を閉じている。輝く長い銀髪の毛先が既に海の上を舞っている。 カモメのこえがひと声、ふた声と、波間に響く。 少女が進める足によって生まれる音と波、カモメの声、砂の入った筒をゆっくりと傾けたかのように鳴る海。 風が音も立てずにゆるりと吹いている。 全てが用意された音楽のように、少女の全身に響く。 少女の口元が小さくゆがむ。 彼女は歩みを止めない。 そこへ。 不意に雑音が割り込んでくる。 「何やってんだ!」 誰かが海をかきならす。泡がいっそう増える。 しかし少女は振り返らない。声がしても歩みは止めない。それどころか、足を速める。 雑音が大きくなっていく。それは耳を騒がせる。少女は逃げるように足を速めようとするが、波に足をとられてしまう。 少女の悲鳴とともにその体が全て海に埋まっていく。少女はもがく。しかし歩めない。もがいたときに生まれた泡が視界を埋める。息をしようとするが、口から空気の泡を吐きだし、その中に水が入り込むだけ。 「あぶねぇ!」 海に消えようとしていた少女の白く細い腕を、光る水面からのばされた色黒の骨ばった手が掴み、引き上げる。 濡れきった全身が空気を求め、少女は誰かの腕の中で咳き込む。 そこは水の冷たさに反して、酷く温かい。少女の耳元で規則正しいリズムで鼓動する音が、波のはざまに響く。 「だいじょうぶか?」 少女が顔をあげると、怒ったような顔をして彼女を見つめている色黒の青年の、青い瞳と視線が絡みあう。 少女は答えられない。全身が震え、歯がガチガチと音を立てている。 「とりあえず、陸に上がるから」 少女を横抱きにして、青年は浜辺まで泳ぐ。 彼は終始無言で、少女もただぼうっとしているだけ。 「馬鹿アマ! なんであんなことしてたんだ!」 浜辺に辿り着いてすぐ、彼は少女を一喝する。彼女はおびえたように目を閉じ、震える体をいっそう震えさせる。 「海はあぶねぇんだぞ」 その様子にため息を一つつき、色黒の青年は少女を砂浜の上に降ろしてあっという間に火を起こす。 「南の海は温かいけどな、今の時間じゃまだ冷たいんだ」 体を温めろ、と言ってから、彼は背を向けて彼女の傍らに座り込む。 太陽の光が空を青く照らす時刻になって。 起こされた火が小さくなった頃、やっと青年は少女のほうに向き直った。 「服は乾いたようだな」 少女の濡れた銀の髪は海面のゆらゆらとした影をはじいて瞬いている。 乾いた白い服は、彼女を頼りなげに包んでいた。 青年は目を細め、少女の顔についた砂を払ってやる。 「毛布がありゃよかったんだがな……だいじょうぶか」 少女はもう震えてはいなかったが、うつむいたまま、何も言わない。 ため息をついて、青年は頭を掻いた。 「俺はクルトだ」 ぶっきらぼうなその声に、少女がぱっと顔を上げる。空色の涙の濡れた瞳はいっぱいに開かれていた。 青年……クルトはその瞳を受け止めて言った。みじかく。 「お前は」 「わた……しは……」 それに少女は僅かに口を開いた。 「……マルタ……」 「マルタ」 クルトは少女の名前を反芻してから、立ち上がる。 マルタは困ったように彼を見上げた。昇った太陽の光がまぶしくて、よく姿が見えない。彼女は目を細める。 目を細めながらも見つめようとしたが、目が痛い。すぐに彼女は顔を伏せてしまった。 そこへ、手が差し伸べられる。 「立ちな」 少女は首を振った。 「ここに……」 「置いていくほど、俺は馬鹿じゃねぇからな」 マルタの言葉をさえぎって、青年は言った。 「誰が置いてくってんだよ、全く」 「でも……」 「俺の知らねーところで勝手に死ぬのは構わねー」 クルトはしゃがみこみ、反論しかけたマルタの鼻先に指を突きつける。 彼の青い瞳には、縮こまった少女が大きく映っていた。 「んが、俺が見つけた時点でそうじゃなくなったんだ。わかるか」 マルタは絶句したが、クルトはおかまいなしだった。 少女の細い腕を掴むと、そのまま彼女を抱き上げる。問答無用だった。 「離して…っ!」 少女がかすれた声で叫んだが、クルトはそれを無視した。 マルタは暴れようとしたが、うまく身体にちからが入らなかった。足をばたつかせることも、青年をひっかくこともままならない。 マルタはそこで海の音を、陸に返されてから初めて意識した。 |