「見つけましたよ、サイアリーズ様」 姿を消した王女は、草陰に隠れてやりすごそうとしていたらしい。もっとも、発見者からすればそれは子供だましもいいところであった。 憧憬 「あー……見つかっちゃったー……」 声をかけると案の定、ばつのわるい顔をして出てきた。 「ここまでくればバレないと思ったんだけどね」 ここまで、というのは、ストームフィストから西にある林である。森自体に名前は無く、ただ「西の林」と呼ばれていた。町とは違って、ここには人影は殆どない。 「ギゼルには適わない、か」 王女の言葉に、ギゼルはほんのりと頬を赤らめた。 「そのような。貴女は目立ちますから、町の者に話をニ、三話を聞けばわかることです。 まさか、ここまでいらっしゃるとは予想だに致しませんでしたが」 「目立つって…これでも着る物には気を使ったんだけど」 と、肩をすくめて自分の身なりを見下ろす。確かに王宮であつらえた品物と比べれば粗末な服装なのかもしれない。しかし、「衣装の問題ではございませんよ」とギゼルは微笑んだ。その髪、その美しさ、そしてその気高さ。つまるところ彼女の存在そのものが際立つのだ。少しばかり身に着けるものを変えたところで、それは変わることはない。 「お世辞を言うとは、いっちょまえになったねーギゼル」 おちょくるように笑いかける姫に、貴族の少年は慌てて首を振った。ただ思ったことを口に出しただけなのだ。世辞などとはとんでもなかった。 「そうそう、隠れてたわけじゃないから。ちょっと気分転換の散歩に出ただけよ」 まとまった前髪をかきあげつつ、息をつく。姫君の顔には木漏れ日がさしている。 「散歩……ですか。女王騎士殿が頭を抱えておりましたよ?」 「あの護衛と一緒に散歩したって、堅苦しくって気分転換になりやしない」 護衛というのはガレオンのことである。壮年の女王騎士は決して悪い男ではないし、サイアリーズも彼が嫌いなわけではない。しかし、奔放な姫君からしてみれば頭の固い人間だった。 石頭を伴ってお忍び、というのはなかなか面倒な話で、面倒なことが嫌いなサイアリーズは身一つで遊びに来たのだった。 「しかし、ファレナの王女たる御方が獣道に隠れている……それは散歩とは言いがたいのでは」 「あら、悪いかしら?」 「滅相もございません。お隠れあそばしたおてんば姫を探し当てるのは楽しいですよ」 「へんなやつ〜」 確かに変なのかもしれない、とひとりごちながら、ギゼルは足元を見渡した。獣道とはまさにこのことで、道らしい地面ではなかった。むしろ草薮である。彼女の大の苦手な生き物が這い出てきそうな場所だったが、そんなことを言ったら大騒ぎして、今度こそ見失ってしまうかもしれない。顔に出さないようにギゼルは苦笑した。 「それにしても、よくこんな場所を見つけましたね」 「すごいでしょ。道ともいえない道だけど、こっそり森の奥に行くには丁度いいのよ」 サイアリーズは笑って、夢見るように言葉を続けた。 「余人が踏み入らないから、奥に綺麗な花畑が残ってて。……それを見ると心がやすらぐんだ」 その表情に、ギゼルは息を呑んだ。 「まるで、平和なような気がして……」 微笑を浮かべながらも、その遠い目は憂いが含まれていた。それはそれは美しい横顔だったけれども、ギゼルは王宮内で女王姉妹間に不穏な空気が漂っていることを思い出し、少し表情を引き締める。 「サイアリーズ様。……よろしければ、私をそちらに連れて行っていただけませんか」 その言葉に、姫君は顔を輝かせた。見つかったからには、すぐにでも連れ戻されると思っていたのだ。ギゼルもそうしようと思っていたが、彼女の表情<かお>を見ていて、気が変わった。 「いいの?」 「探すのに手間取ったということにすれば。実際それなりに手間取ったわけですし」 「さっすがギゼル!話がわかるぅ〜」 ギゼルは嬉し気に先を行く王女を、眩しそうに見つめた。 「やっぱり、花を見るというのは心が和むねー。これだから散歩はやめられない」 たどり着いた花畑の一角に座り込んで、サイアリーズは羽を休めるように身体を伸ばした。ギゼルはその姿を見てはいけないような気がして、そっと目を逸らす。 目に入ったのは一面に広がる花、花。彼女の言ったとおり、ここはとても美しい場所だった。春色の花々の間に蝶や蜂がゆるりと舞い、甘い香りがのんびりと風に吹かれて鼻孔をくすぐる。ファレナは温暖な地域なため、色の強い大輪の花が多いが、ここはどちらかというと小さな野花が咲き乱れている。日の光を遮る木々の中にあるせいだろう。 緩やかな時間が流れているこの場所は、浮世の騒乱などとは全く縁の無いように思えた。まさに、彼女の言葉どおりの場所だった。 身体を伸ばし終えたサイアリーズは、後ろで突っ立ったままのギゼルに手招きをした。座れということらしい。王女の気軽さは今に始まったことではない(まさにそれが彼女の魅力だとギゼルは思っている)が、やはり戸惑うことは多い。美しい花畑に腰を下ろすのは少々気が引けたけれども、姫君がお呼びになったのだ。少年は恐る恐る彼女の隣から少し離れて座った。 「あの、サイアリーズ様。ストームフィストの近くといえど、やはりお一人で出歩くのは危険です。 貴女に何かあったら……」 花をのんびりと愛でている少女は、やはりのんびりと答えた。 「ゴドウィンの名が傷つくわねえ」 「そんな! 私は貴女のことを……」 「ふふふ。冗談よ」 ふわり、と柔らかな風のように笑って、彼女はとんでもないことを言った。 「……大丈夫。町外れとはいえ、ゴドウィンのお膝元なんだし、いざって時は助けてくれるでしょう、我が許婚殿?」 「………!!!」 許婚、という言葉に耳まで熱くなった。まだ正式には決まっていないが、そういう話が彼らの間に出ていた。ギゼルにとっては、夢のような話である。小さな頃からあこがれていた彼女と、結婚するかもしれないのだ。 王家とゴドウィンの結びつきを強化するための政略結婚なのだろうが、それでも彼は天にも昇れるような気分だった。 「あっははは!もー、顔真っ赤にしちゃって!なんだかこっちが照れるじゃないの」 「さ、サイアリーズ様……! からかうのはおよしください」 文字通り真っ赤になりつつも、口元を押さえて軽く咳払いをする。 「で、ですから……今度お出かけになるときは……私がご一緒いたします。 そうすれば皆も安心いたしますでしょう」 「あんたは腕も立つしね。確かに一人でいるよりは安全だけど…… でも、あんたと一緒にいたら目立つじゃない」 「貴女一人でも充分目立ちますよ。私一人おまけについたところで、大して変わりもございますまい」 やっと落ち着いた物言いに戻ることができたギゼルは、まだ幼さが僅かに残る顔で笑った。その顔を指でつんとつついて、サイアリーズは悪戯っぽく笑う。 「とーかなんとか言っちゃって、デートのお誘い?」 図星だったのか、不意をつかれたのか。ギゼルはさらに真っ赤になって言葉を詰まらせた。それがおかしくて、彼女はつい笑ってしまった。 「ふふふ、冗談だってば」 「か、からかうのはおよしくださいと先ほど申し上げたではありませんか……!」 「だって、可愛いんだもの。あ、言っておくけどからかってないからね」 可愛いと言われて喜ぶ男は、余りいない。少なくともギゼルはまだまだ子供だと思われているような気がしてあまり嬉しくは無いのだが、サイアリーズの口から出ると、やはり気恥ずかしい。終いには黙りこんで、早鐘打ちする心臓を止めようと躍起になっていた。 その様子がまたおかしくて、少女は軽やかに笑った。 やさしい風は、野に咲く花々とふたりとをゆっくりとなぜる。 不安と漠然とした予感が心の奥底に巣食ってはいたけれども。 彼らはこんな日が、いつまでも続くんだろうと思っていた。 だが、それは大きな間違い。 ------ はすっぱな口調になったのは婚約解消後だと解釈。 っつうか、ギゼルはウブすぎただろうか。ドキマギ。 |