『王子を責めることはリオンちゃんを侮辱することと同じことだよ』


 沸騰した頭に投げかけられた言葉。
 目の前の王子様は、胸倉をつかまれても文句一つ言わず、ただ打ちひしがれていた。









太陽が笑ってる











 医者から退出するよう言われたが、自室にも戻る気分になれず、ロイは一人、湖城を歩いた。
 サイアリーズの裏切りによって女王親征を利用した女王リムスレーアの奪還に失敗したサオシュヤント軍は、本拠地まで撤退。敗走を強いられた。
 裏切り劇の最中リオンは王子を庇って刺され、重傷を負った。かろうじて一命は取り留めたものの、いまだ意識は戻らない。
 思いもかけなかった王子の親族の裏切りと敗走の衝撃ゆえか、城内はかつてないほど重く冷たい空気で満たされていた。多くの人がここで暮らしているはずなのに、誰も居ないかのように皆息を潜めている。
 ロイがのろのろと歩を進める廊下にも、人影はまるでなかった。自分ひとりがここにいるような気にすらなってしまう。ぞっとするほど静かな夜だった。
「………辛気臭い」
 自分の顔のことを棚に上げて、廊下から外に出る。月はなく、星だけが湖城を照らしていた。
 湖から吹き込む風がやけに冷たい。

「わけわかんねえ……あいつらの理屈なんか……」
 ならば誰を責めればいいのだ。誰を罵ればいいのだ。
 今ここにいる自分は何もできないではないか。



「リオン……」

少女の名を呼ぶ声は小さく、星明りの夜にひっそりと消えてゆく。
聞くものも応える者もいない。


「護るって、なんだよ……」


 自分の命まで投げ打って、守って、いったいどうするって言うんだろう。
 死んだら終わりだ。
 たとえ護りたいやつを護ったって、死んでしまえばおしまいなのだ。
 そのひとをもう護ることなどできないし、会うことだって、触れることだってできない。
「……わかんねえよ」














 ある晩、王子の部屋から退出してきたリオンと出会った。
 彼女はいつも、短い睡眠をとるのみで、夜でさえ彼の身の安全のために控えていた。見かねて、こう声をかけたことがある。
「なあ、ずっと王子さんを護ってるの、大変だろ。たまには休んだほうがいいぜ?
 たとえばちょっと気分転換に散歩するとか、さあ」
 しかし彼女は頑として首を縦に振らなかった。
「王子をお守りするのが、私の役目です」
「役目? 誰かに言われてやってんのか?」
「いいえ。わたしがやりたいから、そうしてるんです」
 藍色の瞳に決意を込めて。
「王子は、わたしの大切な人だから」











 あの敗走ののち、ロイたちのいる陣営は苦境に立たされていた。

 リオンは王子の黎明の紋章のお陰で、昏睡状態から帰還し、現在は順調に回復している。毎日顔を出していたが、日に日に精気を、笑顔を取り戻すその姿を見て、ロイはただただ嬉しかった。
 その矢先の、敵軍の包囲作戦。
 既にロードレイク、ドラートが奪われ、ゴドウィンとアーメスの軍勢が本拠地に迫っていた。
 篭城戦でなんとか凌いではいたが、敵軍は後から後から増えてくる。
 おのずと、限界があった。
 防衛線が次々と破られ、城の周囲は敵兵がひしめいていた。もはや、逃れることもならず、いよいよ敵が城に突入してくるのだと城内は騒然としていた。
 そんななかで、敵軍の使者からこんな条件が提示された。

 王子一人が出て、敵将キルデリクと一騎討ちをする。

 それに王子が勝てば、彼らは撤退すると言うのだ。

(そうか。解ったよリオン)
 決断しそれを実行に移すまでには、そう長い時間はかからなかった。
 なぜ誰も言ってこないのか、不思議なくらい簡単なことだ。




(そんなこと、全然関係ないんだな)




 通りかかった作戦室から声が聞こえてくる。
「あと少し……あと少しなんです、時間が稼げれば…!」
「ルクレティア、僕が……」
「なりません、王子! 危険です!」
 作戦室は紛糾していた。当然だろうと思った。
 ここで王子が出て行ってはならない。あの軍勢の前に一人で出たらどんな目にあうかわかったものじゃない。

 


 何のためにオレがいる?


 正に、このときのためじゃないか。





(せっかくお前が命を賭けて守ったんだ)

(無駄にしちゃいけねえよな。そうだよな)

桟橋に出る。敵将の男が下卑た笑いを浮かべてこちらを眺めている。橋向こう、城の周囲には敵軍が静かに控えていた。
 大丈夫、偽者だということに全く気付かれていない。
「……ロイ……!」
 遠くから悲痛な声が耳に入った。王子の声だ。
 だが振り返りなどしない。振り返ってはいけない。
(馬鹿が、出て来るんじゃねえよ)








 勝負にロイは、なんとか勝った。
 だが、向こうは一騎打ちで勝負を決しようなどとはハナから考えていなかった。
 嘲笑う隈取りの男、突き刺さる矢。
 骨が砕け、肺が貫かれた音がした。
 だが血を吐いている暇もない。
 視界が揺らぐ中、雨のように降り注ぐ矢矢を三節棍で必死に防いだ。

 しかしやがて、走る激痛に集中力が途切れ、そして。



 湖の向こう岸から、鬨(とき)の声をあげて竜馬騎兵団がこちら側に向かってくる。土煙の代わりに上がる水飛沫が太陽の光に当たり輝いていた。
 軍師はこれを待っていたのだ。
「まったく……遅いぜ……」
 かすれていく景色。遠のいていく怒号。剣戟。

(ああ)

 黄金色の瞳に空色が混ざった。



(これでいい)













 真っ青な空の上で、太陽が笑ってる。



















 ―これで、いい。

























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