あれから三年。 三年しか経たないうちに、また星が動いた。 ……まだ、三年しか経っていないのに。 枯れた涙 湖城の朝はしんとしていて、声を立てることすら許さない静寂が、城を占領していた。 「……あのさ」 僕は目の前でただうろうろしているバカバンダナにいってやった。 「何か用?」 いつもどおりのセリフを吐いてしまったような気もするが、とりあえず怒気をはらませて。 すると、ぶらぶらしていたそのバカバンダナはこっちを向いて、意地悪そうに笑った。 「いいや別に?待ち合わせしてるだけ。石版はみないよ」 その笑い顔が、無性に癇に障った。 「だったらおとなしくしてくれないかい?ものすごくうざいんだけど」 こめかみが引きつっているのがわかる。 「いやぁ、だって、床綺麗だし。ぴかぴかじゃないか。グレミオもみたら喜ぶかもね」 と、床をしげしげとみて訳のわからない事を吐く。……たしかに、ずっとは見ていられないほど朝日の光を浴びて輝いている。 「それは毎日掃除しているみたいだからね……」 僕はバカだと思いつつも、ついつい答えを返してしまった。 「そうみたいだね。うーん綺麗だー……それにしても」 バンダナは、急にこっちの顔を覗き込むようにみてきた。 「……何」 僕は戸惑ってしまった。バンダナの奴の目に、戸惑っている様子の僕が小さく写る。慌てて目をそらした。……どうも、いつも奴には崩されてしまうようだ。 「ルックも変わらないねー」 「3年しか経ってないんだ。そうそう変わるものじゃないよ」 そっぽを向いたまま僕が答えると、彼は笑って、自分の髪をつまんだ。 「そっかーそうだよね。僕も全然髪がのびないんだよ。困るんだか困らないんだか」 「……………」 とんちんかんな答えを返してきたので、僕は一瞥してだんまりを決め込んだ。 「そういえば、ビクトールとかも全然変わってないよなぁ」 僕が黙ったのに気付いていないのか、軽い調子で話を続ける。 「熊と一緒にしないでよ……あれとは人種から違うんだから」 「はははっ!そこまで違うもんでもないと思うけどね」 「………………」 僕は答える気も気力もなく、無視の意味もこめて後ろの約束の石版を振り返る。 いろんな名前が刻んである。ユズ、シエラ、フリック、シュウ、ビクトール、ハンフリー、ナナミ………目についたもの。そして見慣れた自分の星。 天間星……ルック。 バンダナ頭も僕ごしにみていたらしく、(何故か)感嘆の声をあげた。 「いろいろいるなぁ……。いつも思うけど、こうも見たことある名前もあるもんなのかな」 また振り返ると、今度は奴の顔が見えた。石版を熱心(であるかないか微妙な線ではあったが)にみて、知っている名前を見つけてはうなって見せたり、 思い出し笑いをして、聞きたくもないくだらない話をしてくる。 「フリックはなんか落ち着いたって感じだよね」 「老けただけさ外見だけ」 「アップルって大きくなりすぎだと思わない?」 「知らないよ。て言うか何が」 「へ?」 本当にくだらない、どうでもいい話ばかりだった。それでも、彼は僕との、いや、誰との会話も楽しんでいた。いつでも。 まるでそのことが貴重であるかのごとくに。 ネタが尽きたのか、暫く沈黙が続いた。 僕は上の大きな窓を見た。そこから、太陽の光が差し込んでくる。 とても眩しい。 手をかざしてなんとか窓の輪郭を見ようとしたけれど、眩しすぎた。 あきらめて、彼の方を伺い見てみる。何か考えているようだった。……いや、或いは、何も考えていないのかもしれない。ときどきこのバカは何を考えているのか分からない顔をする。 沈黙を破ったのは、僕だった。 自然に、口が動き出したのだ。 「君は……さ」 そのときの僕の声は、自分でも驚くぐらい、沈んだ声だった。 「何?」 彼は僕の様子を読み取ったのか、声のトーンを少し下げて、聞き返した。 僕は、口から言葉があふれでそうになるのを必死に押さえて言った。 「君は、平気なのか……?」 「……何がだい?」 風のない水面のように静かに、彼はまた聞き返した。その、妙に落ち着いた顔に、僕の顔が熱くなったのがわかった。 僕の口は、もう抑えられなかった。 「……どうして平気でいられるんだ? まだ、3年しか経ってないじゃないか。 くだらないことに笑って、しゃべって、明るく振舞って」 彼は沢山のものを失った。あの戦いで彼の手の中に残ったものは、一体なんだっただろう。僕の口は止まらない。こんなことを言って、何になるというのか。 「僕は、そういうの……すごく、目障りなんだ……」 あふれ出て来すぎて、言葉の整理がうまくつかない。言いたい事がありすぎるのだ。そして、普段つとめて人と話そうとしてこなかった僕には、それを整理して彼に伝える術がなかった。 言いたいことがありすぎるのは、きっと抑えすぎたからだろう。慣れきっていると信じていたのに。 彼は何も言わない。こちらへの視線が痛かった。 「……そう……むかむかするんだ」 僕は俯いて、胸のあたりをかきむしった。 「君も平気じゃあ、ないんだね」 「!」 跳ねるように顔を上げると、彼はかすかに笑っていた。 僕は、もうその笑顔に腹を立てなかった。怒りでも喜びでも悲しみでもない、奇妙な感情に襲われたのだ。ただ、ひどく心が飛び上がっていた。 「君も……て、どういうことさ?僕の何が平気じゃないって?」 ……ああ、これは『驚いた』んだ。 「そんなに怒る事ないじゃないか」 「僕は怒ってない……」 後から思えば、僕はきっと怒ったような雰囲気を出していたんだとは思う。 「いいや、怒っているよ」 いつものむっつり顔がさらにむっつりしてるからね、と彼は微かな笑みを浮かべたまま、続けた。 嫌に床が眩しい。床も天井も眩しいんじゃ、一体何処を見れば良いのか。 僕は目を細める。そして、首を振った。 「僕は怒ってない……怒ってなんかいない」 言い聞かせている。そのことは自分でもわかっていた。 奴は僕の顔を覗き込んで、また薄く笑った。それは決して嘲笑の笑みではなく、むしろ顔を軽く歪めたといった方が正しいかもしれなかった。 そして彼は、僕に背を向けて大きく伸びをした。 「平気ではないよ」 思わず顔を上げた。そこへ、重ねて彼は言う。 「僕は、平気でなんかいたことは、一度でだってないけどな」 顔は見えない。奴の緑と紫のバンダナと、未だ着ている真っ赤な帝国近衛隊制服しか、見えない。 「それとも僕は演技がうまいのかな、ルック?」 「……知らないよ」 僕は自分でも驚いてしまうくらいかすれた声で答えた。 彼は返答を聞いて、振り向きざまに深く笑う。そう、深く。 「ごめんよ、お互い突っ込んだ話はしないはずだったね」 「……ふん」 言い出したのは、こっちの方じゃないか。もっとも、言い出してしまったのは苛立ちの果てであったが。 本当はこんなことを言うつもりはなかった。いつもどおりにふるまおうと思っていた。 だが、耐えられなかった。魂にからみつくこの重みに。 「……ねぇ、思ったんだけど、僕が泣いてみれば、ルックはイライラしないのかい?」 「喧嘩売っているの、君」 あまりにも馬鹿げた奴の発言に、僕は鼻で笑って言った。しかし言って、ふと思い直す。 「でも、僕は君がいじいじいじいじ泣いていてもイライラするね」 少し間を置いて返答した僕の顔をみて、にっこりと笑った。あいた間の意味を悟られたのかもしれない。 「手厳しいね。慰めたりとか励ましたりとかしてくれないの?」 「僕が? 気持ち悪いこと言わないでよ、全く」 「うん、気持ち悪いね。想像するだけでも怖いや」 なんだかそうはっきりいわれると少々腹が立つが、確かにそんな自分の姿を考えたら吐き気がするので、とりあえず納得はした。 「ルックはやさしいね」 「……は?」 振り向きざま唐突に放たれた言葉に、意味がわからず僕はただ口をあんぐりとあけて小さく音を出しただけだった。きっととんでもなく間抜けな顔を晒していたに違いない。それを見たかつてのトラン解放軍のリーダーは、ゆるく笑う。 「でも、大丈夫」 彼の微笑みは、窓から差し込む朝日に照らされている。 泣くのは結構疲れるしね、と語るその顔に落ち込む翳(かげ)が思いのほか色濃いことに、初めて気付いた。 そこでようやく、僕は思い至った。そして僕は己の愚かさを密かに呪った。 ――彼の涙はとうに、枯れ果ていたのだ。 |