その2
 
 
 
 
 
「テッドに借りを作っちゃったな・・・・」
さも残念そうに呟く彼を見て、思わず苦笑する。どうしてこんな風に意地が悪いんだろうな。人の好意を素直に受けられないようになったんだか。昔はもうちょっと可愛らしい性格をしていたはずなんだが。
さっき――とても悔しそうに泣いていたのに、それはすでに止まっている。立ち直りが早いことはいいんだが・・・さっきの方が大人しくて扱いやすかったのに。
「テッド、テッドっ!」
「何だよ・・」
考えていたんだが、彼には呆けて見えたのだろうか。いきなり急かしてくる。ゆっくり歩いていて、さっきの山賊にあってしまったら最悪ではあるが――彼のように声を張り上げるだけでも見つかりやすいのではないだろうか。
「あれがサラディだよね」
嬉しそうに笑いながら彼が指す先を見る。霞掛っているいるせいかぼんやりとしか見えなかったが、家が数件並んでいるのが見える。
「ん・・・。ああ、やっと着いたのか」
「何、ノンビリして・・・・遠出をしてきたんだから、もうちょっと嬉しそうにしなよ」
「俺はお前みたいに無邪気じゃないんだよ・・・あ〜、腹減った」
子供扱いをされたと思ったのか、彼は不満げな表情をした。それを横目で見たあと、サラディの方を見る。
「少しはマシな食べ物でもあるかな・・・・?」
「・・・オッサン臭」
ジロリと目の端で睨まれてから、彼は俺を置いて村の方に歩いていった。・・何か怒っているというか、どうも――急いでないか?
「おい、待てよ」
気になって呼んだが・・・・振り向きさえしない。全く、ワガママにつきあう俺の身になって欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
噂通り、サラディってのは何もない――ただの田舎村だった。道具屋で売っているのも最低限の、生活するために必要な物しかなかった。人口も少ないんだろうな。歩いている人も数えるほどだ。
「何も無いね・・・・」
その情景を見て、彼は呟いた。
「だから言っただろ? 行ってもつまらない所だって」
普通に言ったつもりだが、割と大きな声になってしまったらしい。周りにいた村人に睨まれてしまった。慌てて、近くにあった家の裏の方に逃げ込む。
「テッド、声大きい・・・」
「悪い」
呆れたように彼に溜息を付かれた。
さて、来たことは来たんだから・・・・そろそろ帰るべきだな。いつまでも留守にしているとグレミオさんの白髪が増えるだけだ。
「そろそろ下山しようぜ。早く帰らないと、グレッグミンスターに着くのが夜になる」
当然のことを言ったつもりだったが、彼は驚いた表情をした。
「え・・・ちょっと待って」
「ん? 何だ、まだ見たい物でもあるのか?」
戯けてそう言うと彼は真顔で頷いた。
「宿を」
急に真面目な表情をしたので、つられて神妙な顔になってしまう。
「・・・泊まる気か?」
「そうじゃないけど・・・・・」
今まで、彼がここに来たいと言っていた理由は興味だけだと思っていたが――何か思惑があったのか。まあ・・・そうじゃなければこんな所、来る気にならないだろうな。
「宿の場所なら知ってるから・・・テッドはここで待っていてくれればいいよ」
僅かに笑みを浮かべて、彼は俺の元から去っていった。
殆ど何も無い・・のに宿はあるのか? 泊まる人間なんかいないだろうにな。
 
 
その宿は村の中心より少し外れた所にあった。これではたまに旅人が来ても泊まりにくいんじゃないのか? 予想に違わず、余り繁盛しているようにも見えなかった。外から見ても人がいないのが見える。村人ですら利用していまい。閑古鳥ですら鳴けなくなっているんじゃないだろうか。
扉を開けるとチリンと扉に付いていた鈴が鳴った。それでカウンターにいて、新聞を読んでいたオヤジが俺の方を向く。が、その視線はすぐに下ろされた。対応悪い・・・・。それともすでに来ているはずの彼の連れだと考えたんだろうか。
部屋に繋がる廊下の方に勝手に行く。廊下は薄暗くて、ぼやけた感じに見える。右手にある食堂も同じようで・・・彼はいなかった。
「あれ?」
てっきり居るものだと思っていたが何処に行っているんだ。廊下や食堂は人の形がないし、まさか部屋に入っていることは無いだろう。宿代取られてしまう。しばらく探し回っていると、廊下の奥に階段があることに気が付く。薄暗くて気付きにくかった。こんな小さな宿なのに・・・・意外と部屋数が多いな。
上がってみると一階と同じように暗かった。部屋が並んでいて、その先の一番奥の部屋に彼がひっそりと立っていた。俺の足音で気付いて彼はこちらを向いた。
「テッド・・・・待っていれば良かったのに」
「お前が余りにも遅すぎるから来てやったんだよ」
「あ、ごめん」
さっきまでの元気さがまるで無い。そういえば村に着いてからずっとこんな感じだな。
「・・・この部屋が見たかったんだ」
そう言って、彼は扉に目を向ける。つられるように見たが、別にどうってこと無い。他の部屋より一回り大きいぐらい。ちょっとした貴族様用ってのだろうけど、これならグレッグミンスターの一般的な宿の方がまだ豪華だ。まあ、そんなのをこんな山村に求めることが間違っているか。
「小さい時に泊まったのか」
「・・・・・・・」
「部屋に入らないのか?」
そう言ってやると彼は少しだけ目を丸くした。そのあと小さく笑い出した。
「・・・・何だよ・・・」
眉を顰めて言うと、彼は笑いながら頷いた。
「お金はさっき山賊にやって、ほぼ無いって」
「あー・・・そうだったな」
すっかり忘れてた。
「それに・・・・・あっても入らない」
冷めるように笑いを止め、彼は真顔で再び扉を見た。それに思わず顔を顰めてしまう。
「テッド」
「な、何だよ」
急に振り向いた彼に驚くと、彼は静かに目を伏せた。
「ワガママに付き合ってくれてありがとう」
「・・・そう自嘲しているのなら別に構わないって。親友だろ?」
そう言ってやると彼は嬉しそうに頷いた。しかし、我ながらに照れるな。こうやって時々言うと恥ずかしいものだ。
彼は扉をなぞるように触れる。
「この部屋はね・・・」
そこで言うのをためらったのか、一瞬途切れる。
「この部屋は僕が監禁された部屋」
「!」
「知ってるよね・・・・誘拐されたことがあるって」
その話はこの半年前ぐらいにグレミオさんから聞いた。7年前の継承戦争勃発時に、敵ができるだけバルバロッサ様の勢力を削ろうとした事が始まりだったと。そして彼は誘拐――と言うより人質にさせられたと聞いていたが。
「悔しかったんだ。父さんの足手まといになって・・・何もできなくて。いつかはこの村に自力で来て、もう一度見てみようと思っていたんだ」
そう言うと、彼は悔しそうに目を細めた。
「でも部屋に入れない・・・・・気持ち悪くて。ここに来たのだって自力とは言えない。・・・まだちょっと早かったみたいだ」
「いつかまた、来ればいいだろ。その時も付いて行ってやるよ」
彼は驚いた表情をしたが、それはすぐにふわりとした笑みに変わった。
「ありがとう・・・・」
 
 
 
 
 
「おやおや、珍しい」
そんなノンビリした声が聞こえてきた。
宿を出て・・・いい加減帰らなければ本当にグレッグミンスターに着くのが遅くなる。朝帰りになったらグレミオさんはとんでも無い事になるだろう、と彼と話していた時に後ろから声を掛けられた。振り向いて見ると、人の良さそうなじいさんが立っていた。
「お前さんらは下から来なすったんだろ。しかも帝都からか・・・・?」
「え、判るんですか」
彼が不思議そうに首を傾げる。
「帝都特有の喋くりをしておったからの。南の言葉など久しぶりだけ」
それは・・・・彼の帝国貴族口調の事を指しているのか? グレッグミンスターでもこういう風に喋るのは少数だぞ。基本的に一般人は共通だと思うけどな。北の都市同盟とかに行けば違うだろうが。
「へえ・・・」
興味深そうに彼は真面目に聞いている。物心が付いた頃から父と二人っきりだったから、こういう爺さん婆さんは興味があるんだろうな。
「親御さんはおらんのか? 虎狼山を登るのは大変ではなかったか」
「頑張ってきました」
にこりと笑いかけ、彼はガッツポーズらしきものをした。それを見て、じいさんが嬉しそうに頷く。
「そうか・・・・・じゃあ帰りも大変だろう。これを持っていきなされ」
そう言って、薄汚い袋から何かを探し始めた。細い指が取り出したのは透明な球――封印球。その中にはキラリと光る金色の紋章があった。
「これは・・・金運の紋章・・・・こんな珍しい物を・・?」
彼がそう呟いた。ずっと旅を続けてきた俺もこの紋章は見た事がなかった。
「ホウ、そんな物であったか。金運なのか・・・やろうと思ったが・・・・」
おい、くれるんじゃなかったのか?
「ほっほ、冗談。こんな物を持っていても付けれないからの・・・・この村には紋章師なんておらんしの」
道具屋に並んでいる品が「おくすり」と「どくけし」しかない村に紋章師なんて居たら――すぐに潰れるのが目に見えてるだろ。というか、何でそんなレアな紋章がこんな所にあるんだろうな。
「あ、ありがとうございます」
紋章を貰い、彼は丁寧に頭を下げる。それにつられて俺も少し頭を下げるが・・・そこまでする必要はないんじゃないだろうか。
「いやいや。下の人はこうも礼儀正しいのかの・・・・」
・・・彼はそうだが俺はそうじゃないぞ。テオ様とグレミオさんのコンビで小さい頃から躾られたんだから、彼は無意識にそうするんだろうな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やっとサラディを出たのは昼をかなり過ぎていた。夜になるまでにグレッグミンスターに帰れるのだろうか。割と早足で虎狼山を下山しているが・・・どうだろうな。
「金運の紋章・・・・か。売るといくらなんだろ」
彼から渡して貰った封印球をユラユラと揺らす。そうすると中の紋章も遅れてユラリユラリと揺れる。彼はそれを面白い、と言っていたが俺はそうも思わない。
「売らずに持っていた方がお金は増えると思うよ・・・」
苦笑しながら、彼は楽しそうに揺れる紋章を目で追っていた。
「付けなきゃ駄目だろ〜? 俺、紋章付けれないからな」
「そうなんだ・・・・・僕は火の紋章を付けてるし・・・・・」
少し残念そうに彼は金運の紋章を見つめた。急にポンとそれを上に放り投げると、彼が驚いた表情をし慌てた。
「落としやしないって。せっかくのレア紋章、割ったら勿体ないからな〜」
「そう思うんだったらもうちょっと大切に扱いなよっ!」
からかわれた事に彼は少し怒ったようだった。ちょっと怒りやすい性格を直して欲しいものだ。
彼の怒りを避け、ぼんやりと思案する。俺も彼も、この紋章を付ける事はできないし・・・やっぱり誰かにあげるべきだよな。勿体ないけど。
「これは・・・・そうだな〜、グレミオさんにあげようか。きっと心配しているだろうし、家事もままならない状態になっているだろうし」
そう言うと彼も同意するかのように頷いた。
「グレミオには悪い事をしたね・・・」
「そう思うんだったら、付いてきてもらうんだったな」
途端、彼は不満げな表情をする。
「え〜、グレミオはうるさいから付いてきて欲しくなかったんだよ。旅先でも『ぼっちゃん』って呼ばれるのは恥ずかしいし、どっかの貴族だってすぐバレるしね」
「違いないや」
下山しているためか行きより足取りが軽く、そんなに疲れない。会話も弾む。
いつもの大したことのない話だが、つい笑ってしまう。どうもグレミオさんの話になると大概が笑いで締めくくられるのだが・・・彼はそんな風にしかグレミオさんを見ていないのだろう。相変わらず可哀想な事で。
 
「楽しそうだな、俺たちも混ぜてくれよ」
『!!』
急にそんな声が降ってきた。反射的に上を見るが、岩場ばかりで人影がない。
「・・・・っ」
彼はギュッと棍を握りしめ、さっき声がした方を見つめた。行きの山賊だろう。
俺は思わず舌打ちをする。昔なら他の人間の気配とか、すぐ気付いたが――彼と話していたとはいえ、気付けなくなってしまった。嬉しいことなのだか、悲しいことなのだか。少なくても今は悲しいことなんだろうが。
「そ〜んなに警戒しなくてもいいだろう?」
そう言って奴らは姿を現した。7,8人は居るか。予想した通り、さっきより数が増えている。子供に逃げられた事を恥じたのだろうか、それとも――
「・・・・コイツらか? 沢山置いていってくれたガキってのは」
後ろからのっそりと、長髪の風袋の良い山賊が出てきた。他の奴らと違い・・・覇気があると言うか――恐らくコイツがこの山賊達の頭だろう。何でそんなのも出てくるんだ?
「今までの中で一番金が多かった・・・物好きな旅人はガキだったのか」
「投げられて、拾うの大変だったしな」
ふん、と軽く溜息を付かれる。・・・・・コイツら。
「・・・もう無いよ」
棍を下ろす事もなくぽつりと彼がそう呟くと、頭であろうヤツが頷いた。
「だろうな」
「じゃあ・・・・何でいい大人が子供を寄ってたかって取り巻いているんだ?」
ニヤリと笑い、ちょっと威嚇するように言ってやる。山賊とかは基本的に金しか興味がないはずだ。金を持っていない俺らを取り巻く理由が無い。それともさっき逃げた事のせいでこう囲まれるのか?
「いやあ・・・ちょっとそっちの坊っちゃんに用があってよ」
「!!?」
彼の表情が強張る。ソイツはさらに戯けた口調で続けた。
「部下から話を聞いてな・・・・どういう容姿だったか。それでそっちの坊っちゃんは見た事があるのに気が付いてな・・・帝都で有名なマクドール家の御嫡男だよな?」
「・・・・・・・・」
「黙りならそれでも構わないが。・・・あの戦争、勝っていたら今頃は大金持ちだった・・・・」
残念そうに天を仰いで言う。それに他の奴らが頷く。話を聞く限り――彼を誘拐した奴らの残党か? 何で捕らえられていないんだ? 降伏でもして、見逃してもらったのだろうか。
「・・・・知らない・・・」
彼は僅かに青ざめながら首を振り、掠れた声で言った。昔の恐怖を思い出してしまったのだろう。宿の部屋に入れなかったぐらいだから相当のトラウマになっていて、思い出したくもないはずなのに。思い出させられた――
「何が言いたい・・・。ティルを怯えさせるためにそんな事を話す訳じゃないだろ」
彼の前に立ち、持っている弓の弦をキリッと鳴らして威嚇をする。俺の方を見て、奴らは一瞬目を丸くさせるがそれはすぐに意地汚い笑いへと戻る。
「テッド・・・・」
背から聞こえる声は弱々しい。ちらりと彼の方を見た後、目の前にいる奴らを睨む。
「目的は金か、命か」
最近では本当にしていない凄味を帯びた声と睨みをきかせると、奴らの中で3,4人ほど怯んだ。それらは三下か・・・。他の奴らはこういうのに慣れているのか。思ったより数が多いな。
「・・・・・ただのガキの二人連れだと思っていたが・・・そっちはお付きの護衛か。騙されたな」
「馬鹿の一つ覚えみたいにガキばっかり言うなよ。これでもお前らなんかより、こういう経験は多いぜ」
さらに挑発するようにニヤリと笑うと、奴らの中で数人がそれにひっかかった。
「野郎!!!」
「お前らの方がそうだろうがっ!!」
手に持っていた物を思いっきり奴らの方に投げつける。そのあと、先を見る事もなく彼を引っ張って走り出す。
ゴン、と鈍い音がしたかと思うと、奴らの一人が倒れた音がした。どうやら顔面に当たったらしい。それに驚いて足が止まったヤツと、反動で浮かんだ金運の封印球を目で追いかけているヤツが少しだけ見えた。
「何、ボサッとしてやがる! さっさと追え!! あのガキは高値で売れるんだぞ!!!」
そんな雄叫びに近い声が聞こえた。奴らの狙いはやはり金か・・・。そうだったら・・逃げ切れる自信はあるが、捕まっても――少なくとも彼は殺されはしないだろう。
「ティルっ!」
チラリと後ろの彼を見ると、さっきよりは幾分か顔色が良くなっている。それに安堵して、言葉を続けた。
「このまま、走って下山するぞ! 奴ら、ずっと追いかけてくるからな・・・・付いて来れるな?!」
「判った。テッドこそ、途中で転けないでよ!」
こまっしゃくれた口調に戻っている彼に苦笑して、その手を放した。繋いで降りると、引っ張り合ってしまうかもしれないから。でもどちらかと言うと、坂に転倒した時に一緒に転げ落ちたくなかったからだがな。割と急だし。
滑るように駆け下りていると、後ろの奴らが追ってきていないことに気が付いた。
「・・・・諦めてくれたのかな」
「この山は奴らの庭みたいなもんだからな。下山するまで安心しない方が良いんじゃないか?」
「そうだね。僕、またあんな臭い所に戻るのはごめんだからね・・・」
俺自身、彼を手放すつもりはない。どんな物より――と言うと嘘になるが――大切な人を失う事だけは絶対したくない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結局、何も起きることなく・・・今はグレッグミンスターに――アールスの地に繋がる、橋の所を歩いていた。トラン湖に流れ出る川に掛っているこの橋には旅商人の姿しか見えない。一応注意深く見るが・・・・奴らは本当にいないようだ。
「心配しすぎじゃない? もう虎狼山は遠いし、グレッグミンスター近くなのに」
日が沈みつつある虎狼山の方を見て、彼はそう言った。確かに離れたが・・・。
「あれから一度も出てこなかったんだ・・・・怪しいと思わないのか?」
「そうだけど・・・・・・」
彼は困ったように眉を顰め、そっぽを向く。疑うに超した事はないが、このまま帰れるものならそれはそれで良い。この調子なら夜になる前にでも帰れそうだし。
「ねえ、テッド・・・・」
急に訝しげな表情をした彼を見て、目を細める。彼はこっちを見る事もなく、続けた。
「何か生臭くない? それに・・・変な音が・・・・」
彼が見つめている、橋の先の方を見る。その先から逃げるように走ってくる商人と、耳を劈くような悲鳴が聞こえた。恐慌状態から最期の力を絞り出したような声。それは急に止まった。
「今の・・・」
息を呑み、彼はそれだけ言った。間違いない、断末魔の叫びだ!
「あっ、テッド!」
彼を置いて、声のした方に走り出す。俺たちを追ってきた山賊が、俺たちを待っている間にこの辺りを通る商人にでも手を掛けているものだと思っていた。が――
「!!」
確かに山賊は居た。彼らは先回りをしてここに来ていたのだが・・・。強烈な生臭さに思わず顔を顰める。その前にいるのは体長8メートルほどの大きな蛇。青く鈍く光る鱗と、血と言うより何かの肉のような色の細い舌。吐息が漏れる音はシュウシュウと、耳障りだった。
「イラブか・・・・」
思わず舌打ちをして、その蛇の下にあるさっきの悲鳴を上げた山賊の男を見る。それは体があらぬ方向に曲げられていて、彼はもうすでに命尽きている事を告げていた。
「な、何でトラン湖の怪物がココに――」
その声は山賊の頭からだった。蛇は橋を塞ぐように居て、その体躯の三分の一は川に入ったままだった。川から上がったばかりのようだ。他の山賊達は恐れを抱いて逃げ出したか、恐怖の余り動けなくなっている。
「トラン湖の怪物?」
いつの間にか横に来ていた彼がそう呟き、蛇の下にある死体を見て顔を歪めた。
「パーンさんがやっつけるって、よく言ってる奴だよな・・・・・」
「えー・・・?」
何だその反応は。
ズルリとその体躯を引きずって、大蛇は彼らの方に向いた。巻き付く獲物を探しているようだ。
「これ以上死人を出させるかっ!!」
そう言って、彼が蛇に石を投げつける。堅い鱗に包まれた蛇には大したダメージを与える事はできないが、こちらに振り向かせる事はでき・・・って、おい。俺たちがあれの相手をするのか? 鱗のせいで攻撃しても効きやしないのに。
「テッドっ! 逃げるよっ」
「おおぃ〜」
さらに彼は蛇の横をすり抜けようとする。そんな危ない事をするなよ〜〜!! 襲ってきたらどうするんだよ!! 全く、考えがあってやったんだろうな・・・・。
「あ、おい! 逃げるなっ!!」
しかも部下を一人殺されたってのに、奴らはまだ彼を捕らえる気でいるらしい。山賊ってのはどんな事があっても金しか目がないのか。
奴らが追ってこようとする前に、蛇が威嚇するようにシュウシュウと吐息を漏らし、俺らの方を向いた。その体躯に阻まれ奴らの動きは止まるが、蛇が・・・。体を捻らせ、今にも飛びかかってきそうだ。
「・・・・あれには鱗のせいで攻撃は効きそうにないね」
「判りきった事を言うなよ!」
そう言うと彼は一瞬不満げな表情をした。彼なりに一生懸命考えたんだろうけど。
彼はさっと身を翻して、グレッグミンスターの方に逃げる。俺も付いて逃げると、後ろからその体躯に合わないスピードで蛇が追ってきた。まともに戦っても勝てそうにないのは判るが、そっちに行くと勢い余って帝都を襲うんじゃないのか?
「おい、ティル・・・・そっちは・・」
「グレッグミンスターを襲う事は無いから大丈夫!」
やけに確信しているな・・・・。
「バルバロッサ様が居られればモンスターは襲わないって、父さんが言ってたから」
「ふーん・・・・」
何かグレッグミンスター全体に紋章術でも掛ってるのか? そんなのは初めて聞いたな。
「で、これからどうするんだよ!! あれは・・・」
チラリと後ろを見ると、もの凄いとはいかないものの・・かなりの早さで俺たちを追ってきている。その後ろには飽きずに山賊やらが・・・・。奴ら、山の者としての信念ってのがないのか? こんな所まで追ってくるとは。
「当たるかな〜・・」
逃げながらも、彼はのんびりとした口調でそんな事を言う。何が、と言おうをする前に彼は右手を振りかざした。赤い光が帯を引いて流れる。
「“火炎の矢”よ!」
彼の周りに炎が現れたかと思うと、それはすぐに蛇の方に向かっていく。走るのを止め、身を翻して次に見た時は轟音と共に蛇が焼かれた。それが呻き、火を消そうと暴れた時に近くにいた奴らも熱気に煽られて、驚いていた。
喘ぐ蛇の顔面で勢いよく燃える火を見て、思わず感心した。
「へえ・・・・よく走りながら発動できたな〜。しかもちゃんと当てたし、初めての割には上出来だ」
「そこ、馬鹿にしない! テッドも何かしなよっ」
馬鹿にしたつもりではなかったんだが。僅かに疲労が見えるが、彼の威勢は全く変わらない。それに苦笑しながら、弓を持ち直した。
「はいはい、判りましたよ・・・ぼっちゃん」
グレミオさんの口調をまねると、彼の怖い笑顔が返ってきた。
体長の長い蛇には『火炎の矢』はちょっと弱すぎたようで――彼の術が悪かったわけではなく、それの射程が狭かった。顔を焼いたぐらいでは怒りを煽るだけだった。まあ、気を逸らすのには十分だったけどな。こういう獲物は何年ぶりの事か。
ヒュッと風を切る音をさせて、俺の放った矢は蛇の目に突き刺さった。それと同時に鋭い慟哭が草原中に広がる。何年ぶりかにしたが、この腕は落ちていないようで安心した。
「これでちょっとはマシな戦闘になるかな・・・・」
「どうかな〜。紋章も大して効いてないし、俺の弓では致命傷なんて当てられないしな」
長期戦になるのが目に見えてる。夜までに帰れそうもないな・・・。
耳障りな吐息を吹き出し、蛇は飛びかかってきた。それを間一髪で避け、ヤツに矢を打つ・・・・が予想した通り、それは体躯の鱗で難なく弾かれる。これぐらい大きなモノになると、西の竜洞騎士団の竜並みに堅い鱗に包まれるようだ。むしろ蛇って言うより、蛇竜って言った方が良いんじゃないか? はるか異国ではそういう竜もいるみたいだし。
「テッドっ!!」
彼の呼ぶ声が聞こえて、我に返る。その直後に目の前が遮られるように暗くなった。目の前のそれが蛇の尾だと判った時には俺の方に振り回されていた。
「ぐ・・・っ」
軽く3メートルぐらい吹っ飛ばされた。が、長く倒れているわけにもいかない。倒れたのを良い事に巻き付かれもしたら、一巻の終わりだからな。
また飛びかかって来た蛇をどうにかかわし、上体を起こそうとした時――肉が焼けるような臭いがした。それとともに再び慟哭を発したのを近くで聞く。彼がまた紋章を使ったのだろう。が、紋章も慣れなければ何回も発動できる物ではない。巨大な体躯の先で力を使い果たしたかのように、彼は膝を立てていた。経験の少ない彼ではこれぐらいが限度だろう。
「ん・・・・!」
「!?」
その時、本当にタイミングが悪い事に・・・山賊の奴らが彼を捕らえた。抵抗のできなくなった、その一瞬のタイミングだったんだが。
「へへ・・・やっと捕まえたぜ」
「やったぜ! お頭っ!!」
やったぜ、じゃねえ〜〜〜っ!! 何、どさくさに紛れてやってんだっ。このイラブを倒す気なんか無いのかーっ!
奴らの頭が彼を捕らえていた。右で口を塞ぎ、左で両手を捻って押さえているのか――彼は痛みを堪えているようだった。ああなっては逃げるのも難しいだろう。・・・・ソウルイーターを使って、この辺の奴らを一掃してしまおうか・・・・。
爛れた頭部から緑色の血を流しながらも、蛇は鎌首を上げて威嚇をする。全く怯む事もなく、俺や奴らも方を見る。奴らはまさに蛙のように竦んだようだ。捕らえられた彼の方がまだマシに見える・・・情けな。
 
急に空を切る音が聞こえた。それが終わらないうちに、蛇の眉間に当たる所に何かが刺さる。ちょっと長めの矢だと気付いた時に、耳を劈くような慟哭を吠え・・・そのまま大きな音を立てて、その蛇は倒れた。そしてそれから動く事はなかった。
「あ・・・・て、帝国近衛隊・・・」
一瞬何が起きたのか判らなかったが山賊の誰かがそう呟いたことで、後ろに十数人の帝国兵が居る事に気が付いた。蛇を倒したのは彼らの仕業だろう。その中には何故かテオ様の部下のグレンシールとやらが居た。その姿を一望するやいなや奴らは逃げだそうとしたが、それはすぐに阻まれた。
「ティル様を誘拐したのはお前達だな・・・・捕らえろ!」
その号令で山賊達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出したが、全部捕まえるのも時間が掛らないだろう。彼はすでにグレンシールとやらに助けられていた。
「やっと見つけましたよ・・・朝から居なくなられたと聞いておりましたから、私も心配していました」
・・・・・書き置きしてきたんじゃなかったのか?
「ごめん、グレン・・・・。ところで、どうして帝都にいたの? 父さんと一緒に、都市同盟と戦っていると思ってたけど」
「お恥ずかしい事ですが、ちょっと体調を崩しまして・・・出兵できなかったのです」
「それで居残って、近衛隊をちょっと率いらせてもらってたのか」
俺が嫌味を言うと、グレンシールとやらがジロリと睨んできた。はっきり言って、こいつは嫌いだ。最初の印象が悪かったせいもあるだろうが・・・アレンとか言う、片割れ以上にやたら突っかかってくる。未だに俺が彼の親友として選ばれた事に不満を持っているらしい。俺を見るたびに睨んでくるからな――
「お前がティル様をそそのかして連れ出したのだろう? それをテオ様が知られたら・・・・・」
彼に見えないように向きを変えて、ヤツは睨んでくる。それを睨み返すが相変わらず怯む事はない。ヤツは脅すつもりで言っているみたいだが・・・それは本当に正しくないので気にもしない。
「テッドは関係ないよ。サラディに行きたいって言い出したのは僕」
俺とヤツのやりとりに気付いていないのか、彼がそうあっけらかんに言った。ヤツが丸い瞳をして彼を見下ろすと、彼はにこりと笑う。
「実戦してみないと本当に上手くなったのか判らなかったから、無茶を承知の上で行ったんだよ。テッドにも止められたのにさ――」
「ほ、本当でそうなのですか?」
ヤツが慌てているのが目に見えて判るので思わず苦笑した。彼も不思議そうに首を傾げながら、頷く。「そうですか・・・・」と言いながら、ヤツは残念そうに目を伏せた。それは俺をどうにか、彼の元から離そうと策略しようとしたんだろうか。
彼はふと何かを思い出したかのように空を見上げた。すでに日は落ちて暗くなりつつある。
「グレン、グレミオ達はどうしてるか知ってる?」
顔を下ろし、今度はグレッグミンスターの方を見る。
「お付きの彼らなら・・・恐らくまだグレッグミンスター中を捜索していると・・・・・」
「じゃあ、早く帰らないと!」
ヤツが何か言おうとしたのを聞かず、彼は俺を誘って走り出した。離れる時に後ろを少し見ると、彼を追ってココまで来た山賊達は全員、近衛隊に捕まっているのが見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ぼ、ぼぼぼぼぼっちゃ〜〜〜〜ん!!!」
「ぼっちゃん、テッド君!」
「何処に行ってたんですか、朝から!!」
大通りを走り抜けようとしたら、そんな叫びに近い声が聞こえた。それで足を止めた彼に従って走るのをやめると、家の間からとか裏道からグレミオさんとクレオさんとパーンさんが出てきた。彼等はみんな、心配そうな顔をしていて・・・・特にグレミオさんはやっぱり凄い事になっていた。
「ぼっちゃん、本当に何処に行っていたんですか・・・。ぼっちゃんにもしものことがあったなら、グレミオはテオ様に何と言えばよいか・・・・。夜までに見つからなかった時、監督不届きという事で首をはねる覚悟もしておりましたよ」
それを聞いて、思わず彼と顔を見合わせてしまった。もうちょっと遅かったら、グレミオさんは自害していたかもしれない、と思うと寒気を感じた。
「心配しなくてもグレミオにそんな事はさせませんよ。する前にぼっちゃんを捜す方が優先に決まってますから」
「死ぬ暇があったら捜すべきですからね」
長年の付き合いのお陰か、クレオさんとパーンさんはグレミオさんの言葉をさらりと流した。頼もしい付き人が居るから、彼は経験が不足しているんじゃないかと少し思う。
「で、でも何処に行かれてたんですか? こんな遅くまで・・・」
グレミオさんの言葉で、気になっていた事を思い出した。
「そうだよ。ティル、お前・・・・・書き置きしてきたんじゃなかったのか?」
そう言うと彼は少し困ったような笑いをした。それにクレオさんが訝しげな表情をする。
「書き置き? あれにはテッド君の家で遊ぶ、としか書いてなかったけど・・・・」
それを聞いて、思わず表情を固まらせてしまった。
「テッドと遊ぶって書いたけどねーー・・・」
ははは、と彼は乾いた笑いをした。呆れなのか怒りなのか、よく判らない感情で手が震えた。
「・・・・っお前は〜〜〜っ!!」
「そんなに怒らなくてもいいってーー」
暗闇に支配されつつあるグレッグミンスターに俺の声がよく響いたのは言うまでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
*おまけ*
 
「まさか、サラディにまで行っているとは誰も予想はしませんでしたよ」
パーンさんがそう言いつつ苦笑すると、彼が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。それを見て何となく腹が立ったので、軽く小突く。勿論そのあと小突き返されたが。
「あ、そういえば・・・帰る途中にトラン湖の化け物が出てきて――」
「トラン湖の怪物?!」
パーンさんがよく倒すと言っている怪物を近衛隊の人らが倒した――勿論それまでに俺たちが弱らせた、という事も言った――話をすると、ショックを受けたような顔をした。ガクリと肩を落として本当に残念そうだった。
「トラン湖の怪物は噂でしかないって言われていたが・・・・それが本当に居たのに、もう倒されたとは・・・・」
パーンさんが深く溜息を付くと、それまで静かだった彼が口を開いた。
「あれはトラン湖の怪物じゃないよ」
「え?」
山賊の奴らが『トラン湖の怪物』って言っていたのに?
「トラン湖の怪物は竜だって聞いたよ。湖の中心に浮かぶ古城に居るとも聞いた。あれも竜と言えばそうも見えたけど・・・・・違うと思う」
「竜?」
「昔、都市同盟との戦争の時に瀕死になった竜洞騎士団の騎竜が古城に逃げ込んだんじゃないかって話があったんだ。これは作り話だと思うけど・・・・本当に古城で竜を見た人がいるって、父さんから聞いたよ」
テオ様の受け売りということは、それは上の幹部の人らの情報で―― 一応、真実味がある。だが、あそこの古城は確か・・・赤月帝国の水上軍設備だった所でいろいろと重要な物が残っているんじゃないのか? それで竜が居るという噂を立たせているのでは。
ちらりとパーンさんの方を見ると、みるみる活気付いているのが判る。
「トラン湖の怪物はまだ居るって事ですね! ぼっちゃんっ、今度遠出する時は俺も連れて行って下さい!!」
「うん、今度出る時にね」
っておい、またいつか・・・何処かに行くのかよ。確かに昼にサラディにまた行くとも言ったけど、トラン湖なんかに行く事になったら――グレミオさん、今度こそ死ぬ気になりそうだ・・・。
パーンさんと彼の楽しそうな笑い声を聞きつつ、晩ご飯が早くできないかなと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
おわり。
 

『イラブ』ってのは琉球語の蛇の意味です。
ぼっちゃんの誘拐話は・・・幻水小説版の短編集1を読んだら判りやすいと思います(汗)
ゲーム序盤にテッドと二人でサラディに行ったら「金運の封印球」ですが、一人のも良い物なんですよね。
888Hit リク、ありがとうございました〜v
威風さん、お疲れ様でしたv面白すぎるマクドール一家、テッドと坊ちゃんでわたくしおなか一杯です☆
こんなに素敵な小説をいただいて大変感激してます…vV
本当にありがとうございました!



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