「ああああああガキとまともに遊んじまったよ畜生これも兄貴と姉貴のせいだァァァァァぁぁああ………」
 だん、と中身が飲み干されたコップをテーブルに打ち付けて、お守りを押し付けられた少年はぼやいた。
 時はもう日が落ち、星たちが顔を出し始めたころ。日が暮れるまでクルトと遊んでいたラマータは、さすがに疲れて部屋で眠りこけてしまっていた。クルトは別の部屋(といっても二部屋しかないのだが)でこっそり、しかし堂々と酒を飲んでいた。いつもは兄夫婦に禁止されているのだ。なんでも、教育上よろしくないとの言うこと。教育というのはもちろんラマータの教育だ。
「ガキが酒の味なんざ分かるわけねぇって」
 こう反論した事もあったが、あっさりと黙殺された。
 すでに空になった酒瓶が簡素なテーブルに五、六本ほど置かれており、焼き魚の骨がいくらか皿に残っている。しかし、彼に酔った様子はあまりない。最近はめったに飲めなかったので、クルトは幾分いい気持ちになっていた。
「まぁ、お守りを除けばそこそこいい休暇というところか。うるさい兄貴たちもいないし……」
 時々、あまりの自由のなさに自分が便利な都会からここ、不便な孤島にきた理由を忘れかけてしまう。
 クルトは溜息をついた。
 いい加減酒にも飽きてきたところで、隣の部屋から何かがきしむ音がかすかに聞こえてきた。
 もう起きたのか、あいつは。
 クルトはそう思ってもう一つの部屋へのドアを見る。しかし、それ以上物音がなかった。
 なんとなく気になって、そっとドアをあけてのぞいて見る。壁に備え付けのベットには、妙に大きなふくらみがあった。とても4歳の子供が横になっているようなふくらみではない。
 クルトが怪訝な顔をしつつもドアとそっと閉めようとすると、ふわりと髪が揺れた。
 もう一度室内を覗き見る。薄いカーテンも、かすかにゆれていた。
 窓が開いている。
 ピンときたクルトはテーブルを離れ、どかどかとその部屋に入り込んだ。
 ベットの前にくるや否や、薄い布団を思いっきりひっぺはがす。
「ふん……やーっぱな」
 ベットの中には、小生意気なラマータが小生意気(親に言わせれば可愛らしいらしい)に寝息を立てていたわけではなく、ラマータの両親がいつか都会に買い物に行ったときに買ってきた巨大(なにしろラマータよりでかい)シロクマがうつぶせに無造作にのっかっていた。
(だいたいなんでシロクマなんだよ。ここは南の島だろって)
 などと買ってきた兄夫婦に突っ込んだ記憶が呼び覚まされたが、今はそれより……
「あのガキ、やってくれるじゃねーか……。この俺を出し抜いて抜け出しやがって」
 四歳の子供に出し抜かれた十八歳の子供は燃え始めた。
「ふ、ふふふふふ……俺をなめんじゃねぇぞ……」
 薄暗い部屋の中で、クルトは薄い布団を握り締め、いたずらっぽく笑った。





 外は暗いものの涼やかな風が吹き、空には満天の星が広がっていた。本当なら一人でゆっくリ眺めていたいところだ。
 いつ見ても星空というのはいいもんだな、とさっきまで酒を飲みまくってぶちぶち言っていたクルトは思った。彼や彼の兄は、それが好きでここに来たようなものだ。
 この島は大して広くはない。ましてや、相手は四歳の子供だ。そう遠くには行っていまい。案の定、ぬかるみに残った小さな足跡をクルトはすぐに見つけた。
 それは島の端にある崖に続いていた。
 それに気づき、クルトは一瞬血が凍る思いがした。最近は季節はずれの大雨が続き、地盤が緩んでいる。ましてや、その崖は水を含むと崩れやすくなる質の土なのだ。実のところ、一度落ちかけたことがある。あの時の恐怖は身に染みていた。
「あのガキ……一体何考えてんだ!」
 クルトは足をぬかるみに囚われつつも全速力で走りだした。

 一方、当のラマータは何をしていたのかというと、彼の予想したように崖の上にいた。
「んんんー……とどかないいー」
 しかも崖っぷちに座り込み、下のほうに手を伸ばしているという、かなり危険な体勢であった。
 その崖は切り立っており、落ちればば海へまっさかさまである。おまけにそこは先日の大雨でぬかるみ、脆くなっていた。
 ラマータは、そんな崖の少しでっぱったところに咲いている花の方へ、手を伸ばしていた。
「おいたんにあげようと思ったのに………」
 いつも遊んでくれているクルトにお礼をしよう、そんな風に母親にいわれ、以前耳にした花のことを思い出したのだ。綺麗な花で、それを貰えば誰でも喜ぶのだと言う。
 そう思って先ほどからずっと奮闘して花を取ろうとしていたのだが、一向につかめない。それもそのはずで、大人の目からは僅かなものであっても、子供の手では届くはずもない距離であった。
 ラマータは諦めかけたが、
「途中で止めちゃだめだよ。最後までやらないとね」
 という父親の言葉が思い出され、ラマータは再び崖の下へ手を伸ばした。決めたことは最後までやり通す。それが父の言葉だった。しかし、ラマータの父親、ロマルトは、この後「無理をしちゃだめだけど」とつけたしているのだが、ラマータはその部分は綺麗に覚えていなかった。

「ラマータ!」
 クルトが崖の下に滑り落ちそうになっている(ようにクルトは見えた)ラマータを呼ぶ。クルトのその声で、ラマータはびっくりして手をすべらせてしまった。
「お、おい!」
 いきなりラマータの姿が消えたので、クルトは崖の方へ飛んでいった。この崖の高さからして、落ちたらまず助からない。
 クルトの中で、いろいろな後悔の風がうずまく。
 兄の静かな怒りと悲しみの顔が浮かぶ。義姉のヒステリックな声が聞こえてくるような気がした。
 空の星がなくなってしまったようだった。
 潮騒も聞こえなかった。





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